私の世界に、私に対して嫌な言動をする人物が現れてしまった!
嫌だな〜・・・
しかし、このような出来事への、
この私の「発想が、感じ方・捉え方」が、
まず、望まない楽しくない人生を招いてしまうのだ。(泣)
そして、望まない人物を私の世界に招き入れてしまうのだ。(号泣)
望まない出来事や人を自分の世界に招き入れてしまう原因
一つには、
『自分の人生に起こる出来事には、元々、決まった意味があるわけではない。』
その出来事の意味がどのようなものになるかは、自分が決めている。
自分が思ったこと、自分がそういう意味だと決めたことが、その出来事の意味になる。
怖っ!
だから、『嫌だな〜』と決めてしまうことで、
その瞬間に、その出来事が、自分にとって嫌な意味を持つものになってしまう。
そして、
『自分の世界は、自分の思った通りになる。』ということ。
これ、一番の大切な『この世界の法則』だ。
起こった出来事に、そこに登場した人に、
『自分自身』が嫌な思いをさせられた、という意味づけをしてしまったために、
その出来事が、
『そこに登場した人が、私に嫌な思いをさせたくて、
嫌な気持ちになるようなことをしてきて、私もまんまと嫌な気持ちになった』
というストーリーに仕立て上げられてしまったのだ。
逆に言うと、
この場合に、私が、私の世界のこの登場人物の言動を、
『自分とは関係がない』『私が何かされたわけではない』
『その人は、その人自身が問題を抱えていて、
誰かに何とかして欲しくて誰でもいいから、
相手にしてくれる、反応してくれる人を手当たり次第に探しているんだ』
などなどと心の底から思えば、
反応しなければ、
起こった出来事が、登場した人物が、
私に何の影響も与えることはできないのだ!
わかっているけど、これまで何十年も染みついたクセで、
うっかり、反応してしまうことがあるのだ(汗)
クセは気付いた時点から、治すことが可能!(良かった!!)
それと、自分の世界は、自分でコントロールしているので、
登場人物の言動は、
『私の潜在意識の私が、
私に何かを気付かせたくて、敢えてそのような言動をさせている』
ことがあるのだ。
嫌な出来事への対応の仕方
① この出来事に、自分にとって、プラスに働く意味づけをする。
例えば、
『この登場人物たちは、彼ら自身と闘ってるんだな〜〜。
私も、自分の中に、
自分自身に自信がないとか、低く見ているところがあるのかも・・・。
と受け止め、「本当の自分を全て認め、愛する」ことを
しっかりやって行こう。』
『この出来事には、「良い気付き」があった!
気付かせてもらって良かった〜〜。』
と、登場人物たちには、反応しないで、
自分自身と前向きに対話する。
② 嫌な出来事を自分のせいにしない。
『私が悪かったんだろうか・・・。』
『ああしていれば良かったのかな〜・・・。』
『私って、どうしていつもこうなるんだろ・・・。』
などと考えてしまうことが多々あるのではないだろうか。
だけど、これは、自分への自信のなさの表れであり、
自分を卑下する行為でもある。
物事の判断基準は、
『良いか悪いか』ではない。
『そこにどんな気付きがあるか』と言うことだ。
ただそれだけなのだ。
何かに気付き、自分の人生を良い方向に持っていくための材料に過ぎないのだ。
私が悪いわけでもないし、誰かが悪いわけでもない。
ただの出来事なのだ。
③ 罪悪感を持たない。(罪悪感については、またの機会に改めて書きますね!)
嫌な出来事があって、それに反応しないで、
飄々とその場をすり抜けていった時、
『反応しなかったことを、逃げではないか、
相手を蔑ろにしているのではないか』と感じ、
『罪悪感』を持つと言うことは、
その出来事が起こったのは、『自分のせい』だと思っているからだ。
そして、
出来事にきちんと向き合わないことを『人として良くない』と考えているからだ。
真面目で、優しいからなのだ。
私個人の考えでは、それはとっても素敵なことだと思う。
それはそれで、素敵な部分として持っておいて、
『いつでもそうでなければならないわけではない。』
と割り切ることも必要だ。
『罪悪感』を持ってしまうと、
その出来事を自分の世界に受け入れ、引き受けてしまうことになる。
自分が嫌だと感じることは、自分の望まないことなのだから、
受け入れる必要はない。
『逃げ』ではない。
『自分を大切にする行為』だ。
だから、『罪悪感』は必要ない。
この世界がある理由
この世界は、私たちが、いろんな経験をするためにある。
私たちは、『充実感、幸福感、達成感』などなど・・・・
それらを体感したくてこの世界にいる。
楽しむためなのだ。
だから、嫌なことばかりを体験している暇はない!
みんなが自分の人生をそれぞれ楽しめたら、
世界は平和になるのだろうと考えています!
